夏の足湯
真夏日に私とYくんは足湯につかっていた。 「暑いね」と私は言った。 Yくんはアイスキャンディを買ってくれた。 「何だかうまくいかないね」 私とYくんは種類は違えども同じ重さの悩みを抱えていた。 わたしのは雲のようなもので、 Yくんのは弾丸のようなものだった。...
飴売爺爺
飴売爺爺がやってきて、 子どもたちは喜んでいた。 私はそれを遠くに眺め、 「彼とは仲良くしないといけないな」 と、きちんとわかっていた。 飴売爺爺はやってきて、 難しい漢詩を詠むから本当にいやになる。 「スモモの味をいただくよ」 私はこれ以上漢詩を聞きたくなかった。...
南伊豆への行進
私は失踪した 何も持たずに、すべてから逃げた! 喪失感と倦怠感を朝の歌にして 修善寺の宿へ置いてきた ゆっくりと私は空っぽになっていった 穴の開いた米袋みたいに あとからあとから米粒が逃げて行って しまいには風にそよぐ麻袋になった...
伊豆に修す
美須近亭(ヴィスコンティ)は、噺家だった。 彼は師匠のようになりたかった。 歴代の師匠のように、 カセットテープに保存されたあの名噺家たちのように。 100個の噺を覚えた。 だからと言って、それだけで生活できるわけではなかった。...
都会の視力検査
新緑の季節だった。 僕は運転免許証の更新をするために、 視力検査を受けていた。 「どうしても見えない?」 「ええ、ぼんやりして見えないですね」 僕は、素直にそう答えた。 「当てずっぽうって言うかさ、 なんとなくこっちかな、なんていうのはない? とりあえず、言ってみなよ。...
オオバコ
牛車や馬車が通る轍に生え どんな重みの踏みつけにも堪えうることから 車前という名前がつくほどの植物 ならぬ堪忍するが堪忍 などという花言葉までつくほど踏みつけに強い植物 だけど 高く伸びる性質がないので 踏みつけが弱い場所では 他の植物に負けてしまう...
ここでもどこでもいつでも
夜10時、修善寺を歩いていた あるいは湊2丁目を歩いていた 初夏のひんやりとした空気を肌で感じ、 大きく吸い込んだ 数年前の自由を思い出して泣きたくなった 桂川に沿って歩いた ほろ酔いの帰り道 こんな経験をするのは何年ぶりだろう 隅田川に沿って歩いていた 泥酔の帰り道...


