伊豆に修す
- Masumi Nakahara
- 2017年5月29日
- 読了時間: 3分
美須近亭(ヴィスコンティ)は、噺家だった。
彼は師匠のようになりたかった。
歴代の師匠のように、
カセットテープに保存されたあの名噺家たちのように。
100個の噺を覚えた。
だからと言って、それだけで生活できるわけではなかった。
時々、じゃがいもやにんじんを集めて噺を聞いてもらったりした。
「大切なのは、間と抑揚と声質」
もって生まれた声質さえよければ、あとは練習でよくなるはずだった。
弟弟子が入門してきて、
ぐんぐんと自分を追い抜いて行った。
彼はたったの5つの噺を覚えたきりで、
あとはいつでもただの作り話をしていた。
「あいつはほら吹きだ」
と美須近亭は言った。
しかし、美須近亭の弟弟子の噺はおもしろかった。
当の美須近亭でさえ笑いがこらえきれなくなることがあった。
「大事なのは感覚ですよ。噺を覚えるのも練習するのも無意味です」
と、弟弟子は言った。
それでも美須近亭は相変わらず、寝る前には大噺家のカセットテープを流し、
風呂ではそれを真似した。
弟弟子は大人気噺家になり、
彼の新作落語は古典をしのぎ、
いつしか典型的な落語の代表のようなものになってしまった。
勉強家の美須近亭は彼の落語を学ばざるを得なかった。
「感覚ですよ」
と、彼は言った。
今更そんなことを言われても、
とうにその感覚は失われてしまっていた。
相変わらず老獪な美須近亭の噺にはだれも笑わなかった。
彼はテープのように話し続けた。
彼の噺とテープの噺の間には1秒の狂いだってなかった。
しかし、テープの大噺家は大笑いをかっさらい、
美須近亭の噺は巨大な沈黙を生むばかりだった。
あるときに彼は先輩の噺家に連れられて、
伊豆修善寺の寄席に呼ばれた。
ゲートボール世界大会の前夜祭のにぎやかしだった。
美須近亭は、それでも今までよく練習したので二ツ目になっており、
傘で急須を回す男たちの後に出て行った。
「うなぎめがねの噺なんですがね」
美須近亭は弟弟子の作り話を始めた。
彼は忠実に弟弟子の噺をまねた。
まるでテープのように。
修善寺の人々は笑った。
腹を抱えて笑っていた。
ひーひー言っていた。
泡を吹くものまでいた。
しまいには誰かが遠くで失神したようだった。
夢のようだった。
美須近亭は、はじめて噺家として報われたようだった。
美須近亭はその寄席の終わった夜、
初めてカセットテープを聞かずに眠った。
耳の奥で修善寺の人々の大笑いが響いていた。
つられて笑ってしまいそうだった。
にんまりとしただけのはずが、
なんだか無性におかしくなってきて、
布団の上で転げまわって笑い始めた。
そのうちにひーひー言い出して、
口から泡が出てきて、
だんだんと苦しくなってきて気が遠のいた。
あとでわかったことだが、修善寺の名産物、清助どんこしいたけとよく似た笑茸(わらいだけ)が異常発生して、みなそれを間違えて食べてしまったようだった。
3日のうちに笑いは引き、美須近亭はただのカセットテープ噺家に戻ってしまったが、
あの笑いに包まれた夜が忘れられず、修善寺を離れなかった。
そして、きのこセンターで働き、清助どんこの中にあの笑茸を混入させる罪を犯し続けていた。
しかし、あの1件以来、清助どんこは高性能の検査機器に通されるようになったため、 笑茸が出荷されることはなかった。
「また、だれか間違えて採ったな」
そういって、ベルトコンベアのおじさんにはじかれるだけだった。
それでも美須近亭はいつまでもあの夜の再来を待ちわびていた。



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