自己とは何か?を暴力的に排除する
- Masumi Nakahara
- 2018年7月28日
- 読了時間: 2分
自己とは何か?を探し続けて、6年11か月の男がいた。
そして、今月まで「自己」が見つからなければ、
事実的に死亡してしまう運命にあった。
私は何度もその「問い」を捨てるようにと助言した。
その「問い」はただの悪であり、邪であり、魔であった。
しかし、その男は長年その問いに付きまとわれ、
常にその問いは蛇のように彼を締め付けていた。
彼はオカルトの指導者的な存在を欲していた。
「僕を納得させてくれるそんな人がいればなあ」
と常々言っていた。
僕の想像力の直径を少し超えるくらいの円で僕を包んでくれたら、
僕は安心してその中に収束していくのに、
それが彼の望みであった。
私は幾度も彼を救おうと考え、
「君は、(君の父+君の母)÷2である。
そう、それだけだ」
と言った。
隔世遺伝や突然変異の要素はどこにある?
と彼は言ったので、
私は何も言わずに彼をぶん殴ってしまった。
そういうことがあって、彼は私には心を閉ざしてしまっていた。
自分が何であるかなど、考えない方がいい。
私たちは、無限大の要素で出来上がっているうつろいやすい者であるのだ。
ある時はきゅうりが好きであったのに、
それを2週間食べ続けたために、数日後にはきゅうりを憎むようになる、
そういうのが人間なのだ。
しかし、2週間たっても他の食べ物を与えられなければ、
憎みながらきゅうりを食べ続けるのが人間だ。
いやいやきゅうりを食べたくないと人間の本質を否定しているのがその男である。
私は農家であり、きゅうりを育て、彼に食わせる。
育むものは、きゅうりを嫌いにはならない。
黄色の花をずっと眺めている。
そして、あの男は迷走を続けている。
彼には属する世界があったのに、
彼は戸籍上、死亡した。
もう、元の世界には戻らないと決心し、
自分は別の世界に行くといって、
自己を探しにどこかへ行ってしまった。
私は男にこう言った。
「ここではないどこに君の居場所があるのか?」
「そんなの君にはわからんさ」
男はそう答えた。
そういうところがいけないところなんだと私は思う。



コメント