自己とは何か?を暴力的に排除する
自己とは何か?を探し続けて、6年11か月の男がいた。 そして、今月まで「自己」が見つからなければ、 事実的に死亡してしまう運命にあった。 私は何度もその「問い」を捨てるようにと助言した。 その「問い」はただの悪であり、邪であり、魔であった。...
気をつかう
こんなことがあるのだ、 人間関係の構築を不得意とする私ですが、 最近、配偶者との関係性が明らかな改善を見せているのです。 その人とは、何度もぶつかり合い、 殴り合い、けなしあったのです。 大体、3年以上、人間関係を継続したことがありませんでした。...
人は碁盤の目を目指す
太古の昔 まちづくりを計画した人々がわかりやすいようにと 碁盤の目システムを採用した ニューヨークの街ではそれがとてもよく機能し、 通りのナンバーを言えばどこへだって的確に行くことが出来た アルゴリズムか何かのように 一定のシステムに則ってものづくりを行えば、...
女学生への教え
本を買うからと言えば、 どんな親だってお金を出さざるを得なくなるような 教育にはそのような神聖な大義というものが備わっている だけど、そのお金でお遊びに行ってしまったり、 化粧品を買ってしまったりするような狡猾さが女学生にはある...
親の資格
親の資格などというものは存在しないのです。 国もそのような制度は用意しておらず、試験も行われていません。 認可制もとっていなければ、許可制、申告制も取っていません。 そういうことでみんながみんな無資格、無許可で子を育てているわけです。 すべてが整備されつつある世の中で、...
河鹿の湯
伊豆の西平には河鹿の湯というものがあった。 西平には祖母の家があり、 そこへ呼ばれるといつでも河鹿の湯に入らなくてはいけなかった。 小学生の私にとっては河鹿の湯に入るということは、 ある意味において、拷問のようなものだった。 かなりの高温で湛えられた温泉には、...
非・無・不
糸車を回すことで、 世界が変わった。 この世の悪意の言葉の上に 否定語をつけたことで、 その悪意を無効化することに成功した。 暴力に非をつけて、 非暴力とした。 農業をしなさい、とさんざん言っていた。 そうすることでありとあらゆるものが取り戻されるから。...
夏の足湯
真夏日に私とYくんは足湯につかっていた。 「暑いね」と私は言った。 Yくんはアイスキャンディを買ってくれた。 「何だかうまくいかないね」 私とYくんは種類は違えども同じ重さの悩みを抱えていた。 わたしのは雲のようなもので、 Yくんのは弾丸のようなものだった。...
飴売爺爺
飴売爺爺がやってきて、 子どもたちは喜んでいた。 私はそれを遠くに眺め、 「彼とは仲良くしないといけないな」 と、きちんとわかっていた。 飴売爺爺はやってきて、 難しい漢詩を詠むから本当にいやになる。 「スモモの味をいただくよ」 私はこれ以上漢詩を聞きたくなかった。...
南伊豆への行進
私は失踪した 何も持たずに、すべてから逃げた! 喪失感と倦怠感を朝の歌にして 修善寺の宿へ置いてきた ゆっくりと私は空っぽになっていった 穴の開いた米袋みたいに あとからあとから米粒が逃げて行って しまいには風にそよぐ麻袋になった...


