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右と左

  • 執筆者の写真: Masumi Nakahara
    Masumi Nakahara
  • 2017年3月6日
  • 読了時間: 2分

右と左があるように

保守と革新があり、

若者と老人があるように

発展と衰退がある。

このままいけばいずれは消滅すると分かっているのに、

何も動かないでいるのは老人である。

私は思うのだが、老人は変化を恐れるあまり、

自分の最愛であったはずの若者の未来を食いつぶす。

老人の作った壁は強固である。

その壁は彼らの爪のように、

水分を失い、経年の刺激から身を守るようにして

分厚く、黄ばみ

若者の行く手を阻む。

戦ってみても、もうその爪は死んでおり、

痛みすら感じない。

若者の情熱は彼らの爪の垢によって消火される。

私は死んだ組織の中にいる。

どうにかしないとその船は沈んでしまう、と叫んでも、

誰にも届かない。

ただゆっくりと沈んでいく組織は、老人たちが対岸までたどり着くまでもてばいいのだ。

惰性ですーっと老後の世界まで。

そこで沈没しても彼らは助かり、若者が溺れるだけである。

私は望遠鏡を持っている。

若者のたどり着く島は近くにない。

だから今、方向を変えないといけない。

老人たちの望む岸へ着いたって、そこには衰退しかない。

革新もなければ、発展もない。

若者のためにわが身を犠牲にする老人はいない。

それは老人の特性だ。

変化を恐れるあまり、排他的になるのは死んだ爪の組織の特性である。

その組織を変えることは不可能なことに思える。

そこで、その沈みかけた船から降りるのは卑怯であるだろうか?

篭絡した船員たち全員から煙たがられても、

彼らを救うために傷つき、戦い、

舵を発展へと導くことが正義なのであろうか?

そこまでする必要があるだろうか?

おそらく私は黙って船を下りたほうがいい。

 
 
 

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