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誰も正解を知らない

  • 執筆者の写真: Masumi Nakahara
    Masumi Nakahara
  • 2017年2月24日
  • 読了時間: 2分

「産まれないほうがよかったか?」

そうこの世の人々に問いかけても、

誰も正解は分からない。

すでに彼らは産まれたあとだからだ。

「今は幸せか?」

それについても誰も答えられない。

みんな「今」にしか住んでいないからだ。

いつかアメリカの片田舎の産婦人科で堕胎反対の横断幕を持った女の人たちを見た。

中絶を行うその産婦人科から出てくる若い女の子たちに

「もう小さな爪は形をなしている」

と、呼びかけていた。

私は始めて妊娠したときのことを思う。

1回目の診察では、まだ卵だった私の娘は、

2週間後の検診では、小さな心臓を動かしていた。

そして、そのまた2週間後にはクリオネのような姿で私に合図を送ってきた。

「Hi, Mom」

そのときの興奮と感動を私は忘れない。

生き物である私が始めて、生き物を認識した瞬間であった。

ぼんやりとしていた「生」というものが、痛いほどありありと感じられた。

今まで恋をして鼓動を感じたり、唇をかんで血の味を感じたり、

怪我や虐めを通じて痛みを感じたりしてきた。

私の中にすばらしいクリオネが生きている。

その事実だけで私は女神になったような気さえした。

私は、初めて動くクリオネのような娘に出会ったときのことを今でも鮮明に覚えている。

そして、その瞬間から溢れ出た母性は今でも私の中に残っている。

妖精のような彼女が私の中で泳いでいたときのことを思うと、

私も田舎の産婦人科の前で横断幕を持ちたくなる。

22週が何だっていうのだ。

それ以前の胎児こそが守るべき存在であって、

だれもスプーンのようなもので、

そのいのちを奪うことは許されない。

さまざまな事情で行われる中絶、

さまざまな事情って何だ?

さまざまな事情はおなかの外の話であって、

おなかの中の神聖な妖精には関係のないことだ。

私が見た神聖な妖精が

今日もまたスプーンのようなもので掻き出されるところを想像する。

虫を殺したり、チキンスープを飲む私に批判は許されないだろう。

だけど世界中にその不幸なスプーンを置くように懇願したい。

そう思って、ベジタリアンは増えるのだろうか?

たしかに不幸のスプーンを想像するたび、

食欲は減退していく。

 
 
 

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