おせっかい
- Masumi Nakahara
- 2017年2月23日
- 読了時間: 2分
私には友達がない
気がついて、あたりを見回したときには家族だけが笑っていた。
ときどき私を気に入る人がやってくると
何だかとてもどきどきして
私なんかに時間を費やしてもらっていいのだろうか
と、時計ばかりを見てしまう。
「時間大丈夫ですか?」
と、たびたび聞いてしまう。
大変失礼な態度かも知れないが、
こっちはびくびくしているのである。
そんな誰かが帰ったあとは、気疲れしてへとへとになる。
だから私の場合は、友達がいないほうが楽なのである。
時々襲ってくる孤独と羞恥心に耐えれば、あとは気ままだ。
そんな人付き合いの不器用な私であるが、
根は親切であり、博愛主義者であると思う。
そして、先日、
「困っている。相談にのってくれ」
と、稀な依頼が飛び込んできた。
友達の少ない私はあたふたして、
その人の相談にそれはそれは親身になって行動した。
必要な情報を調べ、まとめ、その人に伝えた。
その人の気持ちになって泣いた。
どうすればいいかを寝ずに考えた。
その人は望まない妊娠をしていた。
本人にはまったく産む気がなく、
中絶する病院を探していた。
おせっかいだが、私は言葉を尽くして、
そしてその言葉に裏づけを張って、
立派な壁を作って、
これがあなたを守ってくれるから、
そう説得し続けた。
だけど何となく響いていないことは分かった。
空虚な反響だけがかえって私を虚しくさせた。
だから、人はこわい。
いつもだったらそう言ってしらんぷりして、
後味のわるいビールを飲んでさっさと布団にもぐりこんでいただろう。
無責任な父親、
状況把握が致命的な母親、
文字通り無垢な胎児
この中にひとりだけわるくない人がいる。
その命を守るために私は説得をあきらめるわけにはいかない。
でも、どうすればいいんだろう。
おせっかいはこの世で一番疲れることで、
見捨てることはこの世で一番の罪だ。
疲弊してもやっぱりこのまま無責任に、
「産むべきだ」と主張し続けようと思う。
でなければ、私はあの子たちの母であり続けられない。
見殺しは殺しと一緒だ。
母として恥ずかしくない選択をしたい。



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